山形県の最上地域で甚五右ヱ門芋やりんごジュースを作り、ネットショップで販売している佐藤 春樹さんにお話を伺った際、転機となるタイミングで何度も登場したのが『町役場にいるスーパー公務員のような人』のことでした。佐藤家で代々育てていた里芋のブランド化を推進し、商品パッケージにもこだわるようにアドバイス。ネットショップの成功もスーパー公務員さんなくしては語れないとのことで、『真室川町役場にいるスーパー公務員のような人』こと髙橋 伸一さんにご登場いただくことになりました。
現在は、家業の農業を継がれている高橋さん。公務員時代のお仕事や就農に至った経緯とは、どういったものだったのでしょうか。
22年間勤めた役場を辞めて農家に
佐藤 春樹さんからスーパー公務員のような方ということで、高橋さんをご紹介いただきました。よろしくお願いします。
ちなみに、そう言っているのは春樹くんだけなので、ご了承ください(笑)。
大丈夫です(笑)。まずは「工房ストロー」について教えていただけますか?
藁細工を作って販売しているので「工房ストロー」という名前にしているんですが、農家です。おもに伝承野菜(※)やお米を育てて、牛や鶏なんかも飼っている昔ながらの農家の暮らしを実践しています。
(※)最上伝承野菜…山形県の最上地域で昭和20年以前から存在しており、現在も栽培、自家採種されている野菜。
もともと、ご実家が農業をされていたということなんですが、高校を卒業後、就農するのではなく公務員になられたのはなぜですか?
うちは代々農家で、亡くなった祖父は「中学校を卒業したら農業を継いで欲しい」と言っていました。ちょっと時代錯誤なんですけど(笑)。
当時の担任の先生が「高校を出ても農業を学ぶ機会はたくさんあるよ、大学でも学べる」と言ってくれて進学校に進んだのですが、大学には進まずに社会勉強を兼ねて役場の試験を受けたんです。
役場の試験に合格したので、土日に実家の農家を手伝って農家に関わりながら役場の仕事をしていました。
おじいさまの思いはありつつも、役場に20年間勤められたんですね。
そうですね。当時は祖父母も両親もまだ若くて、規模の大きい農家でもなかったので。土日や朝夕に手伝うくらいで、私が専門に関わらなくても4人でやっていけたんです。
公務員をいつ辞めるかも決めていなかったんですけど、5年前にたまたま条件やきっかけが重なった時期があり、思い切って辞めました。役場には22年間勤めましたね。
そのきっかけというのは、どういったことですか?
祖父母と両親の年齢がそれぞれ20歳ずつ上がったので、同じ規模で農業をするのが大変になってきたということや、祖父が病気で倒れたりですとか。
あとは「真室川町ならではの魅力を探して、地域のブランド化を図る」という仕事をしていたときに、見つかったのが伝承野菜や伝承文化、手仕事、伝統芸能など、後継者不足で数年後から数十年後になくなってしまう心配のあるものばかりだったということです。
地域のブランド化として、そういったものを磨いて発展させて発信して、真室川町の魅力を高めるという活動をしていたのですが、それをするうえでも「後継者」というのは重要でした。
さまざまな働きかけをしてもあまり引き継げる方が見つからないなか、私が就農すればごく自然に引き継げるなと思ったんです。
家が農家だから伝承野菜を栽培できるし、伝統行事も実施できます。お米も植えているから藁があって、藁細工も作れる。それは、18歳で農家になっていたら気がつかないことでした。
なくしてしまうには惜しいそれらを後世に伝えるためには「今なんじゃないか」と思い、役場を辞めて就農することにしました。
30種類以上の伝承野菜を引き継いで育てる
伝承野菜を見つけてブランディングするのが公務員時代のお仕事の一つだったんですね。
ブランド化するにあたって名付けというのが重要になってくると思うんですが、例えば高橋さんが作られている「勘次郎胡瓜」というのは、どういうふうに名付けたんでしょうか?
きゅうりを守ってきた農家の先祖の名前である「屋号」が勘次郎だったんです。その他にも、佐藤家の「甚五右ヱ門芋」や「弥四郎ささぎ」も屋号からつけた名前です。
見つかった野菜の歴史を探るとそういった先祖の歴史があったので、その家々を示すには屋号というのがいちばんいいだろうと提案させていただいたんです。
甚五右ヱ門芋の佐藤さんには、ネーミングの他にもネットショップの見せ方や商品パッケージについてなどアドバイスをされたそうですが、もともとそういった知見はあったんですか?
ないんです(笑)。何もないんですけど、いろいろなものを見たり聞いたりしているうちに感覚として身についたのかもしれないですね。
現在、高橋さんが育てている伝承野菜は何種類ありますか?
自分で種取りをして栽培している野菜は30種類以上あります。
とても多いですね。メインの販売先はどういったところですか?
主に首都圏の飲食店や、飲食店に直でつながっている八百屋さんが多いです。市場や農協は介さずに直接、顔が見えるやり取りをしています。
首都圏からの需要が高いのは、山形のお米や野菜が非常においしいからですね。
そうですね。雪がたくさん降るところなので、そういった水の恵みや土の環境がいいのかもしれないです。
ネットショップでも季節の野菜セットを販売しているのですが、1回買ってくださった方は安くない買い物なのに何度かリピートしてくれることがあるので、おいしかったのかなと嬉しく思っています。
ネットショップの写真からしておいしそうです。こちらは制作会社さんにお願いしたんですか?
そうです。株式会社アカオニさんにお願いしました。
株式会社アカオニとの出会い
佐藤さんも高橋さんからアカオニさんを紹介いただいたとお話されていました。
高橋さんとアカオニさんのご関係はどういったものですか?
町役場で地産品の復興の仕事をしていて、ある商品のパッケージを新しくすることになったんです。共通の知人がアカオニさんを紹介してくれて、会ってお話をしてみるとヒアリングがとても丁寧で、事業者自身も気づいていない商品の魅力を引き出してくれたんですよね。細かいことや心情もしっかり受け止めてくれたので、デザインをお願いしたのが始まりです。
そのような出会いがあったんですね。
以来、町内の事業者さんから商品を開発したいとか見せ方を変えたいという相談を受けると、イチオシのこういうところがあるよとアカオニさんを教えるようになったんです。
マージンをもらっていたわけでもないんですが、自分のなかで納得できるデザイン事務所だったので。
「大沼養蜂」というはちみつ屋さんの商品パッケージやネットショップ、「おかしの平和堂」さんのネットショップ、商品パッケージや包装紙もアカオニさんですね。
結果として、真室川町のブランド担当として手掛けたいろいろな産品に統一感が出て、外部の方からも真室川町のものってすごくおしゃれで格好いいよねと言われるようになりました。やっぱりアカオニさんは間違いないんだっていう思いでしたね。
ただ、そのころのアカオニさんは創設間もない時期で、僕の記憶ではウェブメインでプロダクトデザインはあまりしていなかった覚えがあります。
私の「あれもできないか、これもできないか」という相談に乗っていただいて、はちみつやジャムのような「物」のデザインをしてもらいました。
真室川町には「高橋さんとアカオニさんのおかげで事業が変わった」という方がかなりいらっしゃるのかなと思います。
みなさん頑張っていてやる気のある方々なので、仕事として応援するのは当然です。春樹くんのように30代の若い人たちがそういった事業をするのは将来性のあることですし、町としても他から注目されるきっかけになります。みなさんが羽ばたいていくのを見るのはすごく嬉しかったですね。
仕事以上に近い距離でサポートさせていただいたので、辞めてからも個人的な付き合いがありますよ。
名刺代わりのネットショップ
高橋さんもネットショップで販売しているのは、公務員時代の経験からですか?
違うんです。とくに藁細工についてですが、藁細工ってあちこちに出荷するほど多くは作れないですし、興味関心のある人が多くいるものでもないので、必要な人にだけ届けるのに一番手ごろな手段がネットショップだったんです。「工房ストロー」ってなんなんだろう?と思った方に、私の名刺代わりに見てもらうのにちょうどいいんですよね。
なるほど。藁細工もおじいちゃん、おばあちゃんに習われたんですか?
地域のブランド化事業の一環で、藁細工を副業にするための講習会があったんです。対象は一般の市民なんですけど、私も関係者ということで参加させてもらって、地元のおじいちゃんから基本的なことは学びました。
今では教える側として、藁細工のワークショップなどもされていらっしゃいますよね。
2020年はコロナの影響であんまりしていないんですけど、一時は年間20回以上していたときもありましたね。
でも、今のところ自分でワークショップを企画したことはないんです。
私が役場を辞めたばかりのころに、春樹くんが藁細工体験教室を企画してくれまして。今月はこれ、来月はこれという感じで、私が講師になって教えていました。それを知った関心のある人たちから「うちでもやってくれ」と声をかけてもらって広まったということなんです。
そんな経緯があったんですね。ネットショップにはいろいろな作品がありますが、作っていると手が痛くなりませんか?
続けて作業すると皮が剥けたりひびがはいったりしますね。同じ作業をずっとやるとそうなるので、手の使う場所が違うものをかけ合わせながら作っています。今は小さな子どももいてそればかりもしていられないので、暇を見つけてやっているぶんにはそれほど痛くはなりません。
小さなお子さまがいらっしゃるんですね。
公務員を辞めてから、藁細工のワークショップに参加してくれた人と結婚して子どもも生まれました。
就農されたタイミングでものすごく人生が変わられてますね!
思えばそうですね。公務員時とはまた違った楽しさを感じています。辛いこともありますが、何をしていても辛いことも楽しいこともありますし、自分が行ける道は一本だけなので、選んだ道を行くのみだと思って暮らしています。
最後に、今後の展望や目標はありますか?
これからも季節に逆らわず、自然に逆らわず、時間の流れに逆らわず、昔ながらの百姓の暮らし方を実践していくこと。昔ながらの暮らし方で生き続けていくなかで、暮らしの技をもっと習得していきたいです。
おまけ:大沼養蜂さんに高橋さんのお話を伺いました
商品パッケージのリニューアルやネットショップの開設を高橋さんに相談してみて、どうでしたか?
事業を拡大したい、商圏を広げたいと思って、役場に相談に行ったんです。高橋さんはとても優しい方で、親身に相談にのってくれました。ネットで販売するということもまったく知らなかったので、アカオニさんとの間に入ってすべて進めてくれました。
おかげさまで、パッケージを変えてから若い方にも興味をもっていただけて、ネットでも購入いただけています。本音は役場を辞めて欲しくなかったですが、夢に向かって頑張っている姿を応援したいです!
▼こちらのインタビュー記事も読まれています▼