室町から400年以上受け継がれてきた野菜を栽培・販売する「森の家」と創業90年の果樹園「リンゴリらっぱ」2つのネットショップのブランディング戦略とコンセプトとは
山形県の最上地域で伝承野菜「甚五右ヱ門芋」を作り、りんご農園を営む佐藤 春樹さん。
もともと就農の予定はなく、高校卒業後は地元の企業に就職しました。しかし、働く目的が見つからず、空いた時間に祖父母のお米作りを手伝い始めます。
お米の取引価格があまりに安いことを知った佐藤さんは、違う作物を育ててみてはどうかと農業研修を受けました。そのことが、佐藤さんを就農の道へと導きました。
現在は、父方の祖母が家族の食べる分だけ育てていた里芋をブランド化し、母方の祖父のりんご農園を受け継いでジュースを販売、さらに自宅の古民家を農家民宿として運営しています。さまざまな事業を手掛ける佐藤さんに、商品を販売する際のブランディングや2つのネットショップ運営についてお話を伺いました。
目次
「甚五右ヱ門芋」というブランドができるまで
甚五右ヱ門芋はお祖母さまが家族で食べるぶんだけ作られていたものだそうですが、生産量を増やして販売するにあたって徹底したブランド化をされていますよね。お芋を販売しようと思ったきっかけを教えていただけますか。
父の実家に米作りを手伝いに行ったときにお米の取引価格が安いことを知って、米以外に作るものを探した方がいいんじゃないかと思ったんです。そのとき山形県では、新聞に連載があるくらい在来種の野菜に注目が集まっていて、その場所にしかない作物を作ることが一番の差別化になると感じました。
おばあちゃんに「うちには昔から種をとっている野菜ってある?」と聞いたところ、室町時代から代々400年受け継がれてきた里芋がありました。おばあちゃんが嫁いで来たころ、春になると姑さんが近所の方々に家の里芋の種芋をわけて「佐藤家の里芋はおいしいね」と言われていたそうで、姑さんから「里芋を守って欲しい」と言われたおばあちゃんが作り続けていた里芋でした。
子どものころから食べていておいしいとは思ってたんですが、他の里芋と比べたことがなくて、いろんな方に食べ比べてもらいました。すると「こんなに柔らかくてとろみがあっておいしい芋はない」と言ってもらえたことで、自信がつきました。
特別な里芋だという意識があったので、販売にはパッケージも含めて日本でここにしかないというブランド化を心がけました。
里芋のネーミングもブランド戦略の一環かと思いますが、甚五右ヱ門芋という名前はどのように決まったんですか?
佐藤家に代々受け継がれている里芋なので初代の名前をつけました。ちゃんとした文献ではないのですが、過去帳のようなものがあって初代の名前は甚五右エ門だと書かれていたんです。農業研修を受けたときのマーケティングの先生と町の役場にいるとても仕事ができるスーパー公務員のような人に相談をしたら「甚五右エ門芋、いいんじゃない?」と言うことだったので決めました。
なるほど、ご先祖さまのお名前だったんですね。
ネットショップ「森の家」
ネットショップでの販売を始めたのはいつごろですか?
2011年、テレビの全国放送で甚五右エ門芋が紹介されると決まったときです。放送の3ヶ月くらい前にお話をいただいた際、テレビ局の人から「めちゃくちゃ売れますから、覚悟してくださいね」と言われたんです。それで、株式会社アカオニというデザイン会社さんに「放送に間に合うようにネットショップを作ってください!」と無理を言いました。朝の生放送だったので、前日は徹夜で作業してぎりぎり間に合わせてくれました。
放映された当日の反響はどうでしたか?
ネットの注文はその年の分が30分で完売してしまいました。電話は夜まで鳴りっぱなしでおじいちゃんおばあちゃんがその音に疲れてしまって、僕がひたすら対応していました。テレビってすごいな…と思いましたね。
テレビ出演のお話がくる前から、ネットショップでの販売は視野に入れていたんでしょうか?
テレビ出演が決まる前は、時間の余裕や発送資材の在庫準備もなく、個人のお客さまに販売する予定はありませんでした。山形には芋煮文化があるので、秋になると旅館は必ず芋煮を出すんですね。そこに卸せば相当量の芋が使ってもらえるだろうという目論見からのスタートで、まずは作ったものをどうにか全部売らなきゃと思っていました。
図らずもネットショップを始めることができて、毎年リピーターの方からの注文がいただけるようになったので、本当にタイミングがよかったです。
ネットショップの名前「森の家」の由来をお伺いしてもいいですか?
森の家は祖父母の家の屋号です。家のある場所だったり先祖の名前だったり、いろいろな形でその家の呼び名である屋号はつけられますが「森の家」というのは珍しいからそのまま名前にしちゃおうということで決まりました。
森の家の商品パッケージを見たとき、農業という枠にとらわれない斬新なデザインに衝撃を受けました。このパッケージになった経緯はどういったものですか?
パッケージもネットショップと同じく株式会社アカオニさんに全幅の信頼を寄せてすべてお任せしています。
私はデザインについてまったくの無知だったので、「売れる感じならいいかな」という安易な考えでいました。「デザインといえば芸大生に頼めばいいんじゃないか」という周りの意見もあって、最初は学生さんに相談していたんですけど、まだプロというわけではないこともあって納得のいくものができませんでした。
それで、先ほどお話したスーパー公務員に相談したところ「だめだよ、後で変えられなくなるよ」と言われて、株式会社アカオニを紹介してもらったんです。おかげで素晴らしいデザイン会社と繋がることができました。
佐藤さまの転機にはいつもスーパー公務員さんが登場しますね。アカオニさまにはパッケージだけというよりもブランディングを相談したという感じですか?
そうですね。アカオニの社長でデザイナーの小板橋さんにうちの畑を見ていただきました。森の中を抜けると突然芋畑が広がることにすごく感動してもらえて、そのときに「この畑には熊やきつねなど7匹の野生動物が出るんですよ」という話をしたんです。それがパッケージのデザインに繋がったのかなと思います。ただ動物がかわいいだけのものではなくて、冬の山形の厳しい環境とそこで農作物を真面目に作っていることが伝わるデザインをと考えていただけたようです。
なるほど、あの動物たちにはそのような意味が込められていたんですね。
デザインを初めて見せてもらったときは正直しっくりこなくて「あ…こういうのがいいんだ?」と半信半疑でした。でも、パッケージができあがってお客さまに届けると、すごくすてきという反応をたくさんいただきました。そこでやっと、お客さまによいと感じていただくためには、プロのデザイナーに頼むべきなんだとわかりました。今は妻やスタッフ、アカオニさんたちといろいろな意見を出し合って揉んでいます。僕の意見は大概、却下されるんですけど。
商品ができあがるまでかなり時間はかかりますが、その工程もすごく楽しいです。ただ作物を作っているのでなく、自分たちの農業がいろいろな人の楽しいという気持ちを生み出してワクワクさせているということがすごくモチベーションになります。
佐藤さまの奥さまも もともとはアカオニにいらっしゃったんですよね。
そうです。最初は出向扱いなのかなと思ったんですけど、ちゃんと結婚して来てくれて、今は2児の母になったので。さすがにこれは出向ってことはないだろうと思っています(笑)。
祖父の遺志を受け継いだ「リンゴリらっぱ」
佐藤さまはりんご農園「リンゴリらっぱ」も営まれていらっしゃいますが、リンゴリらっぱを始められたきっかけを教えていただけますか。
リンゴリらっぱの前身である「荒井りんごや」を営んでいた母方のおじいちゃんが、今から4年ほど前にりんごの木を残したままがんで亡くなってしまったんです。
親族は「成っているりんごの実を収穫したら、木を倒しておしまいだね」と話していたんですが、僕はどうしても、子どものころから栗を拾ったり、店番をしたりした思い出深いりんご農園をなくしたくありませんでした。
本当は甚五右ヱ門芋とりんごの収穫時期はかぶっていて、両方やるとものすごく忙しくなるんです。2つはやれないと親族には反対されましたが、友人の遠藤くんが農場長になってくれたおかげで、りんごと芋に別れて続けることができました。
りんご農園の方は遠藤さまがお一人で見られているんですか?
他に地元のおばちゃん、おじちゃんたちが草刈りや摘果をしてくれています。常にいるのは遠藤くんだけですね。
ちなみに、遠藤さまが農場長になった経緯というのは?
彼はもともと山形市の生まれなんですけど、東京でCMの制作会社に勤めていました。りんごとはまったく関係のない仕事をしていたところに僕が突然「農業をやってみないか?」と誘いをかけまして、それにまんまとのってしまったというか、のせてしまったというか。本当にいいタイミングで農場長として来てくれました。
遠藤さまあってのリンゴリらっぱなんですね。とてもチャーミングで印象深いお名前「リンゴリらっぱ」ですが、由来をお伺いしてもいいですか?
りんごを販売していた「荒井りんごや」から、ジュースを販売するりんご農園へと変えるにあたって、名前はずっと悩んでいました。アカオニさんに頼んで候補を100個ほど挙げてもらって、甚五右エ門ならぬ「りんごえもん」だとか、椎名林檎さんとかけた「おいしいなりんご」のような冗談交じりの案のなかに埋もれていたのが「リンゴリらっぱ」でした。
初めて見たときはなんのことかわからなかったんですけど、名前を考えていたとき「りんご、りんご…ゴリラ、らっぱ」としりとりが頭に浮かんだんです。「りんごと言ったら次はぜったいゴリラだよね、おもしろいよね」という話になって「リンゴリらっぱってしりとりだったんだ!」と気がつきました。
子どもたちに安全でおいしいリンゴジュースを届けようというところから始めたブランドなので、子どもたちにも意味が伝わるリンゴリらっぱに決めました。
リンゴリらっぱの方もネーミング含め、ブランディングはアカオニさまにお任せされたんですか?
そうですね。リンゴリらっぱは、しりとりという時点でりんごとゴリラとらっぱでくるというのは予想できたんですが、ジュースラベルのデザイン案は楽しみでした。
このラベルは、りんご農園に昔からある樹齢100年近いりんごの樹の樹洞からの眺めなんです。樹洞にはふくろうが巣を組んでいたりするので、穴の中から逆にりんご農園を覗いたときの視点が表現されています。初めて見たときめちゃくちゃかわいいなと思いました。子どもたちや女性にもかわいいと思っていただけるデザインを狙っていたので、バッチリ決まったなという感じです。ジャケット買いしてくれる方も多いです。
円で囲まれているのはそういうことなんですね! パッケージの動物たちはりんご農園に関係しているんですか?
そうですね。ふくろうは農園の守神のような存在です。りんご農園はねずみによる害が酷いので、ねずみを獲ってくれるふくろうは珍重されています。あとは、この地域ならどこにでもいる動物たちですけど、みんな愛らしい姿になって登場していますよね。
ちなみにイラストはどなたにお願いされたんですか?
100%ORANGEさんです。ややこしいですが、100%リンゴジュースのパッケージを100%ORANGEさんにお願いしています。
2つのネットショップのコンセプト
「森の家」と「リンゴリらっぱ」2つのネットショップを運営されていますが、2つに分けた理由と、それぞれのショップのコンセプトをお伺いしてもいいですか?
森の家は「山奥の農家が真面目に作った本当においしいものを紹介する」というコンセプトで、在来種に関係したものや本当にいいものしか売らないと決めています。そこにいきなりかわいいリンゴジュースが入ってくるのはちょっと違うかなということで別にしています。
リンゴリらっぱはしりとりですが「繋がっていく」というキーワードで、有機栽培で体にいいものを作って地球環境に対しても持続可能な農業をしていく、連鎖していく、続いていく、という永続性の意味であったり、自分たちの作ったリンゴジュースで、思いが伝わっていく、繋がっていく、というような意味もあるのかなと思っています。
まさに、おじいさまから佐藤さまにりんご農園も繋がっていますよね。
おじいちゃんが今の農園を見たら、成っているりんごが美しくないので泣いて悲しむと思いますね(笑)。蘇ってきて農薬撒き始めるんじゃないかなと思いますよ。
いやいや、おじいさまも喜んでいらっしゃるはずです!
りんごそのものではなく、ジュースを販売しているのはなぜですか?
りんごを有機栽培の基準で作るのってものすごく難しいんです。僕たちはまったくの素人からりんごの栽培を始めたので、有機栽培の基準に対する農薬の使用量や回数は周りの先輩たちを模範としてやっていますが、10年、20年続けている方とは技術的に天と地の差があります。ですので、そのまま売れる美しいりんごが作れていないという理由なんですが、有機栽培のおいしいりんごはそれだけで価値のあるものだと思うんです。本当に体にいいものを求めている人には伝わると信じて、見た目が悪くても体にいいものを作ることを一番大切にしています。
ネットショップを運営されていて、一番嬉しかったことは何ですか?
食べてくれた方が「里芋嫌いの夫は甚五右エ門芋しか食べないんです」とか「2kgの芋が届いてけっこう入ってるなぁって思ってたんですけど、子どもたちと食べたら一晩で食べちゃいました」というようなメールを送ってくれたり、お年寄りの方が「すごくおいしかったわ!」って電話をかけてきてくれたことは、本当にやっててよかったなと思うとても嬉しいエピソードです。
感動を共感したくなっちゃう! というのは本当においしかったという証ですよね。
今年は7月に豪雨の影響があったとネットショップに書かれていましたが、作物の状況はいかがですか?
豪雨災害で1か月以上にわたって雨が降ったので、畑がみずたまり状態になって芋の生育が止まってしまうほどのダメージがありました。予約注文ぶんだけはなんとか届けようとやっていますが、これから購入しようとしていた方には届けられなくなってしまいました。
これは今年の一番悲しいエピソードです。
今年はコロナウイルスの影響もありましたか?
リンゴジュースを卸している全国の飲食店さん、雑貨屋さん、イベントなどが休業になって、売り上げはかなり落ち込みました。そのぶん、個人のお客さんからの注文が多いかというとそうでもないというか、リンゴリらっぱの商品は内祝いやお中元、お歳暮などのギフトとして使っていただくことが多いので、個人の消費が伸びるということもありませんでした。
これからの挑戦と思い描く未来
イベントや宿泊の方でもかなり影響がありましたよね。
コロナウイルスがどうなっていくのかまだわかりませんが、今後、挑戦したいことはありますか?
今回、リンゴリらっぱの方で飲食店さんなどに頼りすぎるのは問題だなと感じました。個人のお客さまに向けてもっと情報発信をして、自分たちの取り組みについて知ってもらわないといけないと思っています。そのために新商品のクラウドファンディングを準備しているところです。
(※)取材後にクラウドファンディングがスタートしました!
クラウドファンディングでは何を始める予定ですか? また、返礼品にはどんなものをお考えでしょうか?
「苦いリンゴジュース」という変わったジュースとホップを入れて発泡酒にしたクラフトサイダーを作って発表したいなと思っています。
返礼品はそれらの他に、100%ORANGEさんのイラストが入ったリンゴリらっぱのグッズを作る予定です。
それは楽しみです!
佐藤さまはこれまでも農家民宿や芋煮会、ワークショップなどをされていますが、そういった農業以外のことを手がけられているのはなぜですか?
甚五右エ門芋がテレビで紹介されたとき、電話では買えないと思ったからと横浜から直接買いに来てくれた方がいました。その地域にしかない貴重なものならどこからでも来てくれる人がいるということを知って、芋だけでなくこの町の魅力を伝えたいと考えるようになったんです。それで、甚五右エ門芋を掘って食べる芋煮会を開催したり、築150年の古民家である我が家に泊まってもらって、お隣のおじさんが獲った魚や料理上手の近所のおばさんが作ったごはんでもてなすことで、この場所と人を楽しんでいただくことを目的としています。
遠方からいらっしゃる方がいると可能性の広がりを感じますね。
今後の「森の家」と「リンゴリらっぱ」の発展を含め、佐藤さまの活動について目指しているところはありますか?
甚五右ヱ門芋は、今回のような災害でダメージを受けないような強い栽培をしていくという課題がありますね。
リンゴリらっぱは、リンゴジュースもシードルも今は委託で作ってもらっているので、いずれは自分たちでクラフトサイダーを醸造したいです。地域を活性化する上でも、発泡酒はすごくいい役目をすると思っています。地域の人たちがお酒で元気に楽しくなる、そんな未来を思い描いてワクワクしているところです。
冬の山形で温かい芋煮を食べながら冷たいりんごのお酒を飲む、考えただけで今から駆けつけたいくらいの気持ちです。とても楽しみですね。