海外生活からの地方移住。日本全国のものづくりを巡る旅へ
紡ぎ舎さんは2021年1月の開店だそうですが、それまでのお二人はどういったお仕事をされていたのでしょうか。
康亮さん:
私は15年くらいずっと銀行員でした。といっても海外での発電所建設や海底油田の整備といった大きな事業に融資する、いわゆるプロジェクトファイナンスと呼ばれる特殊な部署にいたので、一般的な銀行のイメージとは少し違うかもしれません。海外転勤も2回経験しています。
永子さん:
私は商社で数年間勤務したあとアメリカに語学留学をして、戻ってきてからは外資系メーカーの日本支社で長く勤めていました。
お二人とも、今とまったく違うお仕事だったんですね。長野県の小谷村に移住して「紡ぎ舎」を始めるまでの経緯を教えてください。
康亮さん:
実はもともと私の出身が小谷村なんです。高校を卒業して村の外にいた時間のほうが長いので、気持ちの上では移住者ですけどね。
ここに来るまでは海外赴任のため夫婦でシドニーにいたのですが、40歳を迎えるタイミングが自分にとって一つの分岐点のような感覚でした。このまま銀行に残るか、辞めて地元に戻るか。村でスキー宿を営んでいる両親もだんだん歳をとる中、将来的な宿の運営や介護の問題はどうしようかな、とか。長男としてもいろいろ考えた結果、地元へ帰ることを決めました。
永子さん:
帰国を決めたのは2019年の秋ごろでした。帰ったら夫婦で何かやってみようという思いはありましたけど、具体的なことを決め始めたのは帰ってきてからです。
コロナ禍のちょっと前ですね。
永子さん:
そうなんです! あのときは世の中がこんなことになるなんて思ってもいませんでした。
康亮さん:
当初の予定では、帰国したら2ヶ月くらいかけてヨーロッパをゆっくり旅行しようかなと。長く働いてきたし、ちょっとしたモラトリアムを満喫するつもりでね。
二人とも「モノ」が好きだったので、何かモノを扱う仕事がしたいなと漠然と考えていました。その頃はまだ今の形にこだわっていたわけではなく、海外製品を日本に輸入することも、逆に日本の製品を海外向けに販売することも選択肢に入れていて、とにかく人と人、人とモノをつなげられるような仕事ができればおもしろいなと。そのきっかけの一つとしてヨーロッパをめぐって、今後のことを考えたりヒントをもらったりする計画だったんですけど……。
永子さん:
航空券も取ってあったのに、日本に帰れるかもわからないくらい大変な状況になっちゃって。
なんと……! 日本に帰国できたのはいつ頃でしたか。
康亮さん:
2020年の4月、自粛ムードがいちばん強かった時期です。
その数カ月後には「GoTo」が始まって少しずつ動ける雰囲気が出てきたので、海外の代わりに国内をめぐることを決め、最初に訪れたのが金属加工で有名な新潟の燕三条でした。
海外に住んでみると、日本のものづくりのすごさをひしひしと感じるんですよ。日本にいるときよりもね。そういう体験をふまえて実際にものづくりの現場を見させてもらうと、非常に心惹かれるものがありました。作り手さんたちともお話しさせてもらって、うまく言えないんですけど、僕ら衝撃を受けてしまって。
永子さん:
日本にはいろんな工芸品や産地があるのに、私たちの知識の幅はあまりにも狭かったし、行ったことのない場所も多くて、「もっと知ってみたい」という欲がすごくかき立てられました。それから全国をどんどん回って、作り手さんからお話を聞く旅が始まったんです。
旅の中で見えた、日本のものづくりの課題
まだショップもない状態で作り手さんを訪ねるにあたり、事前にどうやってコンタクトを……?
康亮さん:
基本、突撃だよね(笑)。
永子さん:
地方の工房ってSNSやホームページがなかったりして、作り手さんと直接コンタクトをとる手段が見つからないことも多いんです。大まかに産地を決めたら目当ての工房をいきなり訪ねてみて、お話できたらラッキーっていう感じ(笑)。
いきなり訪ねても、けっこう話せるものですか。
永子さん:
それが意外とウェルカムで。人の動きがない時期だったので「来てくれて嬉しい」っておっしゃる方も多かったですね。
康亮さん:
いろんな作り手さんにお会いしましたが、パッと見は怖そうな方もけっこういました。突然訪ねてきた夫婦に警戒して、「今話しかけんなよ!」みたいなオーラが出てたりとかね。そこをあえて一歩踏み込んでいくと、意外と止まらないくらい話してくれます。みなさん自分の仕事に自信と誇りがあるので、こちらが興味を持って「これってどうなんですか」「どうやって作るんですか」と深く聞いていくと、どんどん話したくなっちゃうみたいで。
永子さん:
私たちが何も知らなさすぎたのが向こうにとっては新鮮だったのか、すんなり教えてあげようって気持ちになってくれたんだと思います。
日本各地をめぐる中で、今の「紡ぎ舎」というお店のアイデアに至ったきっかけを教えてください。
康亮さん:
各地でいろんな人のお話を聞いて日本のものづくりのすごさを感じる一方、産地や個人で活動している作り手さんが今抱える課題も見えてくるようになりました。作り手さんの中には「いいものを作っていれば売れる、誰かがそのうち見つけてくれる」とか「安くしないと売れない」といったようにマネタイズに消極的な人もけっこう多くて。その考えも一つのあり方だと思いますが、きちんと世の中に広めて認知されることも大切ですよね。
すばらしいものづくりが資金化できず、続けられない。後継者が集まらない。このままでは衰退してなくなってしまうものを、我々が感銘を受けたのと同じように多くの人に知ってもらって、次の世代につなげられればいいなと。まずはその入口として、自分たちでネットショップを始めることにしました。
ネットショップ開店前に数万枚の「試し撮り」
初めてのネットショップで「カラーミーショップ」を選んだのはなぜでしたか。
康亮さん:
小谷村の近くに白馬という町があるのですが、ちょうどそこにデザイン事務所を立ち上げた方がいまして。僕らと同じようにUターンで地元に帰ってきて、Web制作とかいろいろやるっていう話を聞いてお会いしてみたんです。その人に「デザインを作り込んで自分たちの世界観を出していくならカラーミーがいい」とおすすめしてもらったのがきっかけです。
永子さん:
東京の大きな会社に制作を依頼することも考えましたが、やっぱりホームページを作るなら細かなすり合わせが必要ですし、近くに住んでいる人のほうが地元のよさを肌感覚でわかってもらえると思いました。
お二人でショップ運営をするにあたり、どんなふうに役割を分担していますか。
永子さん:
実際の梱包作業や、商品に添えるお手紙を書いたりするのは私が担当しています。
康亮さん:
商品写真を撮ったり、ショップに載せる文章を作ったりするのが私の役目です。
ネットショップもSNSも、写真がとにかくキレイですよね。これまでにどこかで学んでこられたのでしょうか?
康亮さん:
全然そんなことないです。商品写真とかも当然撮ったことなかったので。
永子さん:
いろんなサイトやショップの写真を見ながら「自分たちはこんな雰囲気で撮りたい」って決めていきましたね。
ショップの開店前、彼はほとんど一日中、何万枚と写真を撮ってました。ここから光を当てるよりもあの角度からのほうが柔らかい印象になるんじゃないかとか、ライトに紙をかぶせてみたりとか、いろいろ試しながら。
さまざまなサイトを参考にする中で、紡ぎ舎としてこだわりたい商品の見せ方はどんな方向に決まりましたか。
康亮さん:
なんか、カッコつけにはなりたくなかったんですよね。モノの美しさ、機能美をありのまま伝えたい。「こうやって見せたほうがカッコいいから、こう見せる」というやり方はしたくなくて。
永子さん:
すでにモノとしての美しさを基準の一つにして商品をセレクトしているので、私たちが余計に手を加える必要はないんです。そのままで美しいはずだから、それを忠実に表現するのが私たちの仕事。私たちが実物を見たときと同じことをお客さまにも感じてもらって、実際に商品が届いたとき「ああ、これこれ!」と思える写真がいいよねって。
康亮さん:
彼女はこうやって、僕にプレッシャーかけてくるんですよ(笑)。
ふふふ(笑)。
永子さん:
写真も文章も、私がイメージでしか伝えられないものを彼はきちんと形にしてくれるので、いつもすごいなって思います。私が言うのもなんですけど(笑)。
開店して、最初に商品が売れたときのことは覚えていますか。
永子さん:
大喜びだったよね。「やったー!」って。でもすぐに「次はどうすればいいんだっけ?」とアワアワしちゃって。
康亮さん:
もちろん嬉しかったけど、本当に買ってくれる人がいるんだ…!って感覚でした。恥ずかしいから顔写真も載せずにひっそりと始めたお店で、当時はInstagramのフォロワーも200人くらいだったから、僕がお客さんの立場なら「このお店本当に大丈夫なのか?」って思うだろうし。
永子さん:
どんな人が売ってるか分かるほうがお客さまも安心だよねってことで、そのあと雪の日に玄関前で写真を撮りました。
中の人の顔が見えるだけで、安心感は格段に上がりますね!
金融の専門知識を活かして、いつかは作り手の支援を
お二人が商品をセレクトする際のこだわりを教えてください。
康亮さん:
まず、今のベースは「国産のもの」。会ったことがない方の商品を取り扱うことはできないので、我々は必ず作り手さんに会いに行くし、ほぼすべての現場を見させてもらっています。
あとは「実際に使えるもの」、「自分で使ってみてよかったもの」。暮らしの道具として売っていく上で、見た目の美しさはもちろん大事ですが、実際にモノとしての機能がきちんと備わっているからこそ価値が決まると思うので。それに加え、自分たちが惹かれるものを選んでいます。
永子さん:
あとは「作り手さんが好きかどうか」。そこが入口や決め手になることも多いです。作り手さんに限らず関わる人すべてに言えることですが、結局は人と人のつながりなので、お互いに信頼できる人と長く付き合っていきたいし、この先どうなっていくかも知りたいですからね。
気心の知れた人と長く一緒にお仕事できたら、きっと幸せですよね。
康亮さん:
新しくお取り引きをしたい作り手さんには「絶対会いに行きます」とお伝えするのですが、実際に訪ねてみると「本当に来たの!?」っていつも驚かれます(笑)。
もちろん、商品数をなかなか短期間で増やせないというジレンマもあります。でも今のスタンスを曲げてまで商品を増やしたいわけではないので、自分たちのこだわりと判断軸は今後も大切にしていきたいです。
今後増やしたい商品ジャンルや、訪れてみたい地域はありますか。
康亮さん:
我々が海外生活をする中で、日本のすごさを特に思い知らされたのが、ものづくりと食でした。なのでいずれは食品も取り扱いたいと思っています。まずは醤油や塩といった基本的なものから徐々にね。行ってみたいのは沖縄と北海道かな。
永子さん:
今は東北と九州までで止まっちゃってるから、全国制覇したいですね。
康亮さん:
同じ長野県の商品もまだ少ないので、県内の作り手さんもちょこちょこ訪ねてみたいし。
永子さん:
お店を開いた後ではなかなか遠くに行きづらくなるだろうから、なるべく遠い地域から先に訪ねていったんです。近いところは日帰りでも行けるので、これから足を伸ばしていきたいですね。
康亮さん:
実は今、近所にある古い土蔵を改装して僕らの実店舗を作っていまして、その蔵の隣にキハダという木が生えているんです。昔から樹皮が薬の原料になっているのですが、皮を剥がしたあとの木材はほとんど使わずに捨てられていました。そこで我々が木材を引き取り、近所の木工作家さんにペッパーミルを作ってもらえないかお話をしているところです。地産地消じゃないけど、地元で捨てられていたものもうまく活かせたらいいなと。
このペッパーミル、すごくかっこいいですね。
康亮さん:
いわゆる“ザ・土産物”みたいな商品も悪くないけど、世界中どこでも通用するかっこいいプロダクトが作れれば、小谷村が日本中・世界中にいい形で広まって、村の資源も無駄にならないですよね。今はSDGsが声高に叫ばれる時代ですが、わざわざ言わなくてもSDGsを地でいくような取り組みができたら、それもおもしろいだろうし。
僕らは今後、「日本」と「地元」という2つの軸で、自分たちの惹かれた日本各地のいいもの、地元長野のいいものにフォーカスしていくことになると思います。
幸い、私自身には小売業界でも珍しい金融というバックグラウンドがあるので、全国のお客さまにモノの魅力を知ってもらうだけでなく、いずれは作り手のみなさんに対しても自分の専門知識を活かし、経営や財務的な面でのお手伝いをさせていただくことも一つの目標です。
紡ぎ舎さんの今後がますます楽しみになりました。今日は素敵なお話をありがとうございました!