この記事は「商品・建物・イベント、重要なのはそこに意味があること。福岡「筒井時正玩具花火製造所」の話【前編】」の続きです。
こんなすばらしい花火なのに、
こんな売り方していてはダメだ。
商品・建物・イベント。あらゆる部分にこだわりを感じますが、昔からデザインに注力していたのですか?
いえいえ。話を遡ると、もともとうちは90年前から子ども向けの玩具花火を専門につくってたんですね。
線香花火はつくってなかったんですか。
そう。なぜ線香花火をつくっているのかというと、もう18年くらい前になりますかね。当時、線香花火をつくる工場は日本で1社しかなくて、そこが主人の親戚の会社だったんですよ。で、そこが廃業するというタイミングでうちが道具も職人さんも全て引き継いだんです。そこから10年くらい、ただ引き継いだまま線香花火をつくって。
売れたんですか?
まー、売れない。全く売れない状態がずーっと続いて「どうしたものかな?」と考えてみると、外国産の線香花火がものすごく安い。70本100円なんかで売られている状況で、国産花火は20本で100円くらい。買う側の目線でどちらを手に取るかというとやっぱり数が多くて安いほうじゃないですか。
そうですね…。
そのころ私は育児に専念していて主人の仕事には全くタッチしていなかったんです。主人が毎日「わからん、わからん」って首をひねりながら仕事場から帰ってくるわけですよ。「どんなものをつくっているんだろう?」ってなるじゃないですか。それであるとき自宅の台所で見せてもらったんです、線香花火を。そしたらね、主人のつくった線香花火っていうのは、知っている線香花火とは全く違ったんですよ。
全く違う。
もうね…「何本か一緒に燃やしてるんじゃないの?」ってくらいに火花の飛び散りかたが激しくて、美しくて。「こんなにすばらしい花火は見たことがない!」って、すごく感激して。主人に聞くと、日本の線香花火は自然界の素材でつくられているものだから、レシピどおりやれば上手くいくってものじゃないんだそうで。微妙な配合の調整を重ねていくうちに、すっかり開発にのめり込んで、結果すごくこだわったモノが完成していたんです。
ご主人の研究の賜物だったんですね。
そうなの。ただ当時うちにはオリジナル商品もないし、受注に応じて中身を提供するだけ。自分たちの名前が全く世の中に出ていかない状態。でも、こんなにすばらしい線香花火が中輸入品と全く見た目にわからないかたちで並んでいたら、もったいない。だから主人に「こんなにいいものつくっているなら、こんな売り方じゃダメだよ」「日本製がいかにすばらしいか、一目でわかるような売り方をしていこう」と話をして、そこから改革しはじめたんです。
やりたいことが確信に変わった瞬間。
「まずはオリジナル商品をつくろう!」となったのが今から8年前。そのタイミングで商工会から経営革新計画の提出を勧められたんです。金銭的なメリットが大きかったので、じゃあ挑戦してみようかと。それで必要になったのが事業計画書。これがいろいろ書くところがあるんですけど、とにかく分厚い!(笑)
どういった内容を書くんですか。
挑戦しようとしていることの新規性とか差別化戦略とか。そんなこと何書いたらいいかわからないし、何がわからないかもわからないっていう低レベルなところからはじめて。結局1週間ほとんど寝ずに計画書を書いたんですね。そのときはメチャクチャ大変だったんですけど、計画書が完成した瞬間にピンと来ました。
というと…?
自分の書いた計画の辻褄が合うんですよ、ピタッと。なぜかわからないけど「計画のまま進んでいけば必ず状態は良くなっていく」と確信が持てた。
計画を自力で立てたことが自信につながったんですね。
そう。補助金目的でつくりはじめたんですけど、そこだけじゃない手応えを感じたんです。それと同時期に、このあたりのエリアで新規事業を支援する「九州ちくご元気計画」という行政の取り組みが始まったんです。その一環で無料で受講できるセミナーがいくつもあったんですね。いいタイミングだったから、デザイン講座に主人とふたりで通いはじめたんですよ。
どれくらいの期間と頻度で?
週1回で3カ月ぐらいですね。専門学生が2年で学ぶことををみっちり詰め込んだようなカリキュラムだったから、もうデザイン素人の私たちにはちんぷんかんぷん。何を言ってるのかわからない。主人なんか毎回「辞めてよかろう?」って言うわけですよ(笑)
挫折しなかったんですか。
事業計画があったからね。私だけが通い続けても主人に上手く説明できないし、お互いがきちんと理解したうえでデザインをやっていかないと上手くいかないと思ったから、最後まで引っ張っていって。
結果どうでしたか。
180°考えかたが変わりましたね。「デザインとは?」というところから入って、パッケージだけをおしゃれにすることがデザインじゃないって少しずつ学んでいくわけですよ。しくみ全体をデザインしていくことの大切さを、だんだん理解しはじめて。でも一番大変だったのは自分たちのデザインの理解よりも、先代の説得。(笑)
お義父さまに、デザインの大切さを説いたのですか。
はい。でもなかなか納得してくれなくて。だって、これまで成功してきているから次につながっているわけで、正しい道をつくってきたと思っている。そのやりかたをわざわざ変えたところで上手くいくはずがないと思ってるんですね。さらにいうと、デザインって形がないままお金が発生するんですよ。物に対してお金が発生するなら納得がいったと思うんですけど、形のないところにお金をかけるリスクをとるなんて、職人の世界では理解されないですよ。
なるほど…。
もちろんオリジナル商品がどう転ぶか私たちもやってみないとわからないっていう状況ではあったけど、これはもう成功させて納得させるしかない。なんといっても事業計画とデザインの勉強を経て、この計画は絶対に成功するっていう確信があったから。何と言われようと、どうしてもやってみようと決めました。
デザインに注力することを決めて、そのあとは?
セミナーのつながりで紹介してもらったプロデューサーに相談して、いいデザイナーを連れてきてもらったんです。そしたらその方と私たちの息がぴったり合って。
もうね、持ってきてくれるもの全てがすごく新鮮で、いつも鳥肌が立つんですよ。毎回来てもらえるのが楽しみになるくらい、すてきなデザイナーです。それからどんどんオリジナル商品が生まれました。
文化継承のために、コトを伝える。
筒井さんが今課題に感じていることはありますか。
あります。これはスーパーなんかで売られているセットの中に入ってる花火なんだけど、私が子どもだったころは1本ずつ好きなものを選んで買えたんですよ。だから、どんな火が出てどんなふうに動くか花火を見たらだいたいわかったんですよ。それが当たり前と思って今の子どもたちと接したら、ほとんど花火のことを知らないんですね。反対側に火を点けちゃったり。(笑)
私も花火のセットしか買ってもらったことないです。
私はそれをすごく問題だと思っていて。与えられたものの中で遊ぶから、興味が広がらないじゃないですか。そのとき燃やして終わり!みたいな感覚で、選ぶ楽しみを知らない。そもそも興味を持たせるための取り組みをやっていかないと花火業界は続かないなと思ってます。
花火業界の衰退を危惧されている。
そう。今は花火を遊べる場所も少ないし、おもちゃもゲームに変わってきてるし、火を使うのは危ないとか…そういう類の問題で衰退しているっていうのもあるんですけど、結局、子どもたちが花火を好きになってくれないと文化をずっと残していくことは無理だと思う。だから次に展示会に出るとしたら、この販売方式自体を売る。
販売方式を売る??
玩具花火のバラ売りのポップアップショップ。
この販売のしくみを広めようかなと。
モノじゃなくてしくみを広ようとしてるんですね。
そうそう。うちの利益としてはそんなに上がらないけど、選ぶ楽しみを伝えていくうちに、花火業界全体はたぶん上がっていくと思う。あと同じようなことで、オランダで開催する展示会に今度伝統を持っていこうと考えていて。
伝統を持っていく…???
ただ「メイド・イン・ジャパンの花火は美しいですよー」って売ったところで使うシーンやその背景を知らないと、広がらないんですよ。じゃあ何を伝えたらいいかというと、文化。そもそも花火が自由に買えるのも日本だけなんですよ、どこでも買えるものじゃないんです。
火薬ですもんね…!
そう。日本の花火って平和の象徴なんですよ。だから「日本人は夏になると家族で集まって、お盆に花火をみんなでやるんですよ」みたいな風景を伝えたい。これはもう花火を空輸するってところさえクリアしたらできる。きっとできる。
デザインをゼロから勉強して商品をつくって、業界全体の未来まで考えられていてすごいです。
そんなすごいことはしてないですよ。ただ、ホント終わりがなくて。ひとつ新しいことをやり遂げたら、すぐ新しいやりたいことが出てくる。だからなかなか遊べないのが最近の悩みです。(笑)
次々と新しいことにチャレンジする姿勢。ものすごく刺激を受けました…! 今日はお話をありがとうございました。
▼こちらのインタビュー記事も読まれています▼