東京のメーカーを辞めて、愛媛へ
もともと東京で働かれていたとのことですが。
僕は愛媛出身なんですけど、大学を出てから東京の電機メーカーで営業をやっておりました。
それこそサラリーマンしてたころはなんでも数字ありき。「100万より200万円!」「200万より1000万円稼ぐぞ!」という人間でした。(笑)
それが今はポン菓子屋さんに。なぜ愛媛に戻ってこられたんですか?
家業を継ぐため愛媛へ帰ってきたんです。
じゃあ実家がポン菓子屋さん…?
いえ。農業機械店です。
戻ってきてからは農家さんを1軒ずつまわって機械の営業をしてました。
あれっ、ではいったいなぜポン菓子を…?
ちょっと話が長くなります…。(笑)
頭の片隅にもなかったポン菓子
とにかく農業機械が売れない!それが全てのはじまりです。農家さんが口をそろえて「お米が安くて儲からないから機械なんて買えない」と言うんですね。だったら…
というわけでお米を分けてもらって、飲食店へ卸売りをはじめたんです。
お米の販売、上手くいきましたか?
それがこれも売れなくて。(笑) ならば!と今度はお米の加工品をつくりはじめました。
じゃあそのときにポン菓子を…?
いや、まだ頭の片隅にもなかったです。よっぽど好きじゃないと「最近ポン菓子食べてないな〜」なんて思わないでしょう?(笑)
思わないですねー。
僕も同じです。それよりも日常的に食べるものがいいだろうと思って、おにぎりなんかをつくりはじめました。
今度こそ上手くいったんですか?
いやー、これもまた売れない。(笑)
賞味期限が短くて大量生産もむずかしい。半年くらいで音をあげてしまいました。
ピンチですね。
ピンチです。「いよいよまいったな…」というとき、仕方がないからポン菓子機をつかってお米をふくらませはじめたんです。
ポン菓子をつくる機械、持っていたんですか?
お米の加工機械をいろいろ買ったなかのひとつに、たまたまあったんです。
ということは、ポン菓子屋になるためにサラリーマンを辞めたのではなく…
そう、たまたまなんです。
「さすがに売れないだろう」と期待せずポン菓子をつくりはじめました。(笑)
ポン菓子をつくりはじめて、結果は?
それが意外と売れたんですよね。(笑)
意外に売れた理由は…
売れた理由は何だったんでしょう。
自分でも気づいてなかったんですけど、昔からこのあたりには結婚式にポン菓子をわたす風習があって潜在的なニーズがあったんです。
地域背景に助けられてどんどん売れるようになって。そうすると調子にのってくるんですよね。
調子にのるというと?
ベタですけど…東京のおしゃれなお店に置いてもらいたいと思っちゃったんですよ。(笑) そのためにパッケージやデザインやフレーバー展開といろいろ工夫をはじめました。
ひなのやさんの商品、東京で見たことあります!
そうなんです。今は大きいところですと中川政七商店さんとか日本百貨店さんとかに置いてもらってます。
当時の目標、達成されていますね…すごい!
ありがたいことに。
自分の町を誇らしく思うきっかけに
現在の目標を教えてください。
愛媛の王道手土産といえば「坊ちゃん団子」や「タルト」なんですけど、この先10年20年でひなのやのポン菓子も、そこに並びたい。
地元への愛着は昔から?
いえ。むしろ都会への憧れが強い人間でした。
子どものころから「地元にはおもしろいものがない」と感じていたし、東京に出てからも心のどこかで田舎ならではの劣等感みたいなものを抱えていました。
田舎ならではの劣等感。
そういうのを今の若い子たちには感じてほしくないんですよね。
象徴的なエピソードがあって。
こないだ愛媛出身の女の子が「たまたま東京でポン菓子をみつけてパッケージをよく見たら丹原町と書いてあって、すごくうれしかったんです」と、わざわざ伝えにきてくれたんですよ。そのときは「ここまでやってきて本当によかった!」と感激しました。
それはめちゃくちゃうれしいですね。
愛媛出身の人たちにとってひなのやが自分の町を誇らしく思うきっかけになってくれたらもう100点満点! だからお菓子としてのスペックをあげていくよりも、どうやって人と人・都会と地方の関係性をつくっていくかがひなのやの使命です。
都会の美しさを「みやび」と表現するんですが、田舎の美しさは「ひなび」と表現するんだそうです。うちの屋号には「この町の美しい風景をポン菓子を通じてお届けしたい」そういう願いをこめています。
玉井さんが届けたい「ひなび」どんな風景ですか。
よろしければ僕のお気に入りの場所へお連れします。
それはぜひ!
これが、ひなのやの伝えたい風景
今から行くところはですね、地元の人も行かないと思います。僕にしか案内できない風景です。山があって、田んぼがあって…ありきたりな風景なんですけど。
どうやってみつけたんですか?
東京から帰ってきて農業機械の営業で車でまわっているとき、たまたまみつけたんです。
よし、おりましょうか。
ここです。
ここがですね、僕の生まれ育った町の全景をご覧いただけるところです。
瀬戸内海が奥に見えますね。
それで手前には、田んぼと四国山地。
石鎚山が見えます。
四国をばーっと見渡せて、まるで空を飛べそうな気持ちになってくる。
ひなのやが成長できれば農家さんは田んぼを続けられる。この風景を残していける。
ここに来るたび思います。
すごくおだやかな風景です。
これが、ひなのやの伝えたい風景なんです。
これまではつくることで精一杯だったけど、これからはこの風景をわかりやすく発信していくステージかなと思ってます。まだ自分でも伝えたいことを編集しきれていないんですけど、今後を楽しみにしていてください。
これからポン菓子を手にとるたびに、この風景を思い出すと思います。今日はすてきなお話をありがとうございました!