ECでは避けることができないプライシング。値付けによって、売上や販売数量が大きく変わるため、自社製品やサービスには適正な価格をつけることが大切です。
今回はプライシング戦略について、野村総合研究所の下寛和さんにお話を伺いました。
下 寛和さん
目次
下さんについて教えてください。
最初に、下さんについて教えてください。
野村総合研究所コンサルティング事業本部で、製造業を中心に幅広い企業の戦略策定や業務改革を担当しています。前職はトヨタに所属していて、新車の値付けや需給管理などの業務に携わっていました。今の業界に身を移してからは、プライシング関連業務のほか、書籍や論文の執筆、講演会登壇など、対外的な発表活動も積極的に行なっています。
下さんはどういったきっかけでプライシングに興味を持ったのですか?
トヨタの海外営業部で在庫管理業務を担当するなかで、プライシングに関心を持つようになりました。新車を販売する際、日本では受注生産が主流ですが、海外は在庫販売が一般的です。在庫管理担当は、お客様が求めるグレードやカラーなどを予測して必要数を用意する業務を担います。
仕事に慣れたころ、「クルマのグレードによって価格が違うけれど、何を根拠に値付けしているのだろう」と、価格のつけ方に興味が湧いてきました。そこで、同じ部門にあったプライシングチームにジョブローテーションの希望を出して、プライシング業務を徹底的に学び、今に至ります。
プライシングとは?
そもそも、プライシングとはどういうものなのでしょうか?
プライシングを英語で表記すると「pricing」。一言でいうと、モノに値段をつける行為全般を指します。私はプライシングを、「モノにどのような価値があるかをお客様目線で把握して、お客様が払ってもいいと思う値段を導き出す業務」と定義しています。
モノをつくるにはコストがかかりますが、消費者は高コストだろうが製品価値の低いものにはそれほどお金を出しません。逆に、低コストでも価値が高い製品なら、多少高くても買ってくれます。要するに、製品価値に見合う適正な価格をつけることが、プライシングの真髄です。
プライシングでは、マーケティングミックスとも呼ばれる「4P」を重視します。4Pの「P」は、Product(製品・商品)、Price(価格)、Place(流通)、Promotion(プロモーション)の頭文字を取ったもの。製品に値付けする際にはこれら4要素に、ブランドとしてどんな製品を売りたいかを加え、具体的な計画に落とし込んで進めていきます。
プライシングの重要性
なるほど。かなり奥が深いですね。事業をする上でプライシングはどのくらい重要なものなのですか?
プライシング界隈では、価格を1%上げると利益は10%以上改善するといわれています。ところが、日本企業の多くは値上げよりも販売数量を増やすことに目が行きがちです。前年超えの数量を売るのは当たり前で、右肩上がりの成長曲線を理想とする傾向があるんですよね。
たしかに、販売数量の増加にはコスト削減効果がありますし利益にも貢献します。とはいえ、シェア拡大のために値下げを断行するのは、あまり得策とは言えません。製造業などで「値上げしすぎて販売数量が減るのは困る」と危惧する気持ちもわかりますが、そもそも販売数量を1%上げても利益改善効果は5~6%程度。利益改善をめざすなら、価格を上げることを検討したほうが効率的です。
もちろん、低価格でたくさん売るという方針を否定はしませんが、薄利多売は持続可能な戦略とはいえませんし、一歩間違えればビジネスの継続困難につながります。なので、一律に安くするのではなく、メリハリのある価格戦略を考えるべきです。新規顧客獲得のために価格を安くしたとしても、リピーターに対してはそれほど値下げせず、深いコミュニケーションでロイヤルティを高めることに力を入れるなど、強弱をつけた対応が必要です。
プライシングは経営そのもので奥が深いもの。事業戦略と絡めてメリハリをつけたプライシングを行なうと、経営にも好循環が生まれるのではないかなと思います。
適正な価格設定を行う上で押さえておくべき、重要な考え方
適正な価格設定を行うにあたって、重要になる考え方やポイントを教えてください。
日本では「いいものを安く」が「いいサービス」だと見なされることが多いですが、企業に十分な儲けが出なければ従業員の給料は上がらず、安いモノしか買わない、買えない状態になります。その証拠に、G7のなかで日本の名目賃金は長らく最下位ですし、実質購買力はここ20年で10ポイントも下がっています。
つまり、日本人は低賃金なうえ、20年で10%も貧乏になっているんです。このまま「いいものを安く」を続ければ、国民の購買力は低迷したまま浮上しないことは明白です。
日本人の購買力を向上させる意味でも、適正なプライシングは不可欠です。企業が製品やサービスに適切な価格をつけて儲かるようになれば給料が上がり、購買力が上がって高いモノでも売れるようになります。モノづくりの現場でも、高級ラインを増やしたり、新しいジャンルに挑戦したりすることも容易になるはず。
なのに、日本では利益の薄い価格をつけている例が際だっているのが現状です。投資に回す余力が生まれなければ、いつまでも安い製品を売り続けることになってしまいます。低空飛行から抜け出せないのは、プライシングの積極性に欠けることが原因でもあるのです。
これからプライシングを考えるみなさんには、ぜひ適正な価格をつけることを重視していただきたいと思います。
どうしても低価をつけがちですよね。適正な価格設定をする上で参考にすべきデータや情報にはどのようなものがありますか?
プライシングで使われる3つの手法を紹介します。
1:価格弾性値
プライシングでは、「価格弾性値(価格弾性力)」が重視されます。価格弾性値とは、価格変動に応じて需要と供給がどう変化するかを数値化したもので、価格を変更したときに数量(需要)がどのくらい変わるかをシミュレーションできるので、プライシングの参考になります。
価格弾性値の算出には、「需要の価格弾性値=需要の変化率÷価格の変化率」などの計算式を使います。
価格弾性値が1のときは、1%値上げしたら販売数量が1%下がる状態。これを基準に、1を上回る場合は価格弾性値が高い(弾力性が大きい)、下回る場合は弾性値が低い(弾力性が小さい)と判断します。一般に、前者の場合は、価格が需要に大きく影響する状態のため値下げセールなどに有効で、後者の場合は、価格が上がっても需要が落ちにくい状態のため、思い切った値上げをしやすいといわれています。
ちなみに、一般論として仕入商品は価格弾性値が高めな傾向があります。他社と同じ商品を高額で売り出しても、安いほうに流れて販売数量が下がるのは当然です。一方、独自性の高いオリジナル製品は、そこでしか手に入らないモノなので価格弾性値は低めになります。
なお、注意点として価格弾性値を算出するには、値上げ前後の価格と販売数量のデータが必要ですので、これから販売する新製品の値付けには使えません。
2:プライシング調査
プライシング調査(価格受容性調査)で得たデータも、重視すべきデータです。価格弾性値は前述した通り、基本的に世の中に初めてリリースする製品には使えないため、まったくのゼロベースの場合はプライシング調査を実施します。プライシング調査にはPSM分析(価格感度測定)などの手法があり、アンケートやインタビューを通じて、お客様がいくらなら買ってくれそうかを探ることができます。
調査対象は、製品やブランドが狙うターゲット顧客。ターゲットが未定の場合は、幅広く調査する必要があります。プライシング調査は数十万円程度でできるので、余力があれば実施してみてはいかがでしょう。
3:価格決定基準
価格の目安を知りたいときに役立つのが、価格決定基準です。価値(製品・商品価値)、競争(競合他社)、コスト(原価)の3つを基準として、価格の上限や下限、値付けの範囲を把握します。
他社製品と比較して差別化要素がある場合は、競合の価格~上限価格の範囲内で自由な値付けが可能です。差別化できない製品の場合は、競合の価格~下限価格の範囲内で値付けすることになります。これらに消費者心理を加えて、価格決定に役立てます。
プライシングの優先順位はやはり利益なのでしょうか?
あえて順位づけするなら利益をいちばん重視すべきでしょう。とはいえ、プライシングには、価格や数量、利益、製品価値、コストなど、いくつもの要素が関係するため、それぞれ総合して判断することが重要です。また、プライシングは経営を左右するものでもあります。
ブランド戦略や原価企画、販売計画、工場の稼働率、販社の利益など多方面に影響するため、経営企画やマーケティング、製品企画、営業などの部署が協力して考えなければなりません。プライシングの専門部署をつくるのも手ですが、既存のいずれかの部署がイニシアチブをとって、各部署と調整しながら進めることをおすすめします。
プライシング戦略では、ニーズだけでなく「Wants(ウォンツ)」に目を向けることも忘れてはなりません。日本企業はよく「お客様のニーズは捉えたか?」とニーズを重視しますが、ニーズがあるものは、価格競争にさらされやすいもの。生活必需品や宅配便はなくてはならないものですが、できれば10円でも安いほうがいいですよね。これに対抗する軸が欲求を意味するウォンツです。必要性が低くても、「これがほしい」と欲求を刺激する製品であれば、高くても手に入れたくなります。
多種多様なモノがあふれているなかで、他社と同じことをしていたのでは価格競争に巻き込まれます。高くても売れる状態をつくるには、お客様は具体的に何を求めているか、いかに違う軸を見つけて差別化を図るか、どうしたら「買いたい」と思われるブランドになるかを考え抜いて、製品価値を高めることが大切です。
プライシングで成功した2つの事例
効果的な値付けやプライシング戦略を実施して成功した企業や製品の事例を教えてください。
事例をいくつか紹介します。
事例1:マツダ
クルマ好きが支持するマツダは、コアなファンに刺さればいいというスタンスを徹底しています。めざす姿は、人々が憧れる尖ったプロダクトにより、クルマを走らせるのが「たのしい!」「気持ちいい!」と思えるブランド。価格は、トヨタやホンダ、日産など、マスブランドの販売価格+5%で、市場シェアは2%を目標としています。
マツダブランドは、安くして数を売ろうというコンセプトではないんですね。販売店での値引きもゼロなので、いつでもどこでも余計な駆け引きなしで購入できるのも支持される理由です。これほどマーケティング戦略全体でプライシングを実践している会社は、ほかにあまり見かけません。
価格についてもう少し身近な例も挙げると、100円ショップはいつ行っても100円なので、ほしいものがあれば損得勘定抜きで購入しますよね。一方で、今週の目玉商品をお値打ち価格で販売しているドラッグストアなどでは、通常価格に戻ると損した気分になって購入を控えることはありませんか?どちらがいいとは一概にはいえませんが、価格を変えないこともひとつの戦略です。
事例2:ワークマン
「ワークマン女子」が好評のワークマンでは、ワークマンプラスという業態も展開しています。両者の大きな違いは、見せ方。ワークマンはホームセンター型の陳列なのに対して、ワークマンプラスはアパレル型の陳列で、配置や売り場構成にもこだわっています。取扱アイテムにも違いがあるように見えますが、じつはほとんど同じ。同じ製品なので当然価格も同じです。ターゲットの好みに合わせた工夫により、客層の拡大に成功している事例です。
ワークマンが、お客様志向の会社であることがよくわかる事例をもうひとつ紹介します。
あるワークマンファンの女性インフルエンサーが、「溶接工用作業着は火の粉に強く、バーベキューや焚き火用のウェアとして最適」と発信して、同製品が完売したことに着目。全面協力を得て「女性が着てもかわいいアウトドアウェア」に改良したところ、年間販売数5,000着だった特殊用途製品が、30万着を超える大ヒットアイテムになりました。これは、ユーザーを徹底研究しているからこそ成功した好事例です。
新しいアイデアやプライシングのヒントは、お客様の製品の使い方をよく観察することで見えてくると思います。
ほかにも、私の著書では米NIKE(ナイキ)の成功事例なども紹介しているので、ぜひ参考にしてみてください。
ありがとうございます!非常に興味深い事例ですね。
実際にプライシングをするならどんなプロセスがおすすめ?具体的なステップやポイント
実際に事業者がプライシング(価格決定)をする場合のプロセスやステップ、ポイントを具体的に教えてください。
プライシングを行なうときは、基本的に以下のようなステップで進めます。
1、相場や競合の価格などを調べる
2、製品価値を把握する(リサーチを実施)
3、値付けの上限・下限を確認する(価格弾性値、プライシング調査、価格決定基準を参照)
4、価格を設定する
5、価格を評価、再考する
1~5を繰り返してプライシングのPDCAを回します。
新製品に価格をつけるポイント
新たに開発した製品に値付けする際は、以下のポイントを念頭において上記ステップを進めていきます。
ポイント1
製品価値を見極める際、機能など目に見える価値は把握しやすいですが、デザインやブランドが放つ高揚感などの価値はつかみにくいため、必要に応じてインタビューやアンケート調査を実施します。なお、デザインはA案B案どちらが好きか、デザインの違いで許容できる価格差はどのくらいかなど、製品開発にも関係する調査は企画段階で測定するのがベターです。
ポイント2
価格を設定する段階で、「こんなブランドにしたい」という思いがあれば、それも価格に反映させます。ただし、価格を上げすぎると売れにくくなるため、似たような自社製品や競合製品がある場合は、その価格弾性値を分析して値付けの参考にします。自社のオリジナル製品でほかに代替できるものがない場合は、プライシング調査を行ないます。
ポイント3
製品販売後は販売状況を分析して、適正なプライシングができていない場合は価格変更を検討します。
既存製品の価格を変更するときのポイント(値上げ・値下げ)
現在の価格をお客様がどう評価しているかを、販売実績やプライシング調査などから探り、適宜価格を調整します。(基本ステップの5にあたります。)
今の価格で販売数量が増えて狙った利益が出ている場合は、お客様に受け入れられているということなので、可能なところまで値上げしてもいいでしょう。逆に、利益は出ているけれど販売数量が伸びない、販売数量は増えたけれど利益は目標に届いていない場合などは、値下げを含めてプライシング戦略を練り直す必要があります。
仕入商品の値付けのポイント
他社と同じ仕入商品を売る場合は、競合の価格を上限として値付けを行ないます。同じ商品でもプラスαの価値があるなら多少高い値付けをしても問題ありませんが、基本的に競合を超えるプライシングは避けるべきです。
仕入商品で他社より高く売りたい場合は、商品に独自の付加価値をつけて、地道にトライアルを繰り返す必要があります。付加価値分を上乗せした価格で販売してみて、反応がいいならその価格は適切と判断できます。いい反応を得られない場合は競合と足並みを揃えるしかないでしょう。
とはいえ、工夫次第ではお客様に受け入れてもらえることもあります。ギフト需要に対応してラッピングにこだわる、箱にオリジナルのデザインを施す、メーカーとコラボするなど、差別化を図れるアイデアはたくさんあるので、いろいろとチャレンジしてみてください。
プライシングを難しいものかなと考えていましたが、さまざまな角度から検証しPDCAを回して、マッチする価格に設定できるのって実は面白い面も多いのかなと感じてきました。一方で、一度変えた価格がミスマッチだった場合もう価格を変えられないの?と不安に思う方もいるかと思いますがプライシングの見直しはどのくらいの期間で実施するものなのでしょうか?
価格は一度つけて終わりではなく、お客様の反応を見ながら変更しても差し支えありません。値上げに際しては、価格を上げた理由を明確に説明できることがベストですが、ECでは価格の履歴が残らないので、2倍、3倍と極端な値上げでない限りはあまり気にしなくてもいいと思います。米電気自動車(EV)大手のテスラではクルマをネット販売していて、販売数量を見ながら小刻みに価格を変えていますよ。
一方、日本の自動車会社では、印刷したカタログを販売店に置いているためそうそう価格を変えることはできません。価格改定は1年や半年程度と、長い期間同じ価格をキープすることになります。
実店舗と比べると、ECは臨機応変に価格を変えられる柔軟性があるのが利点です。お客様に受け入れられる価格が見つかるまで価格変更を繰り返してもいいと思います。
価格変更ももっと挑戦していいんですね!安心しました!笑
価格の根拠を示せなければ、そのプライシングは失敗する。意識しておくべき注意点
先ほどプライシングの成功事例をお伺いしましたが、失敗例や陥りがちな注意点はありますか?
プライシングには幅広い知識が必要ですが、大手を含めて多くの企業が経験と勘と度胸で値付けしています。相場をつかんでいるベテランは、「だいたいこのくらい」と肌感覚で値付けすることができるでしょうし、極端な話、競合の価格に合わせるだけでいいなら入社1日目の人にだってできます。ただ、価格の根拠を示せないのであれば、そのプライシングは失敗です。PDCAを回すこともできません。
ハイブランドをめざしているのに安い価格をつけるのもよくない例です。いいモノを安く販売してくれるのは消費者にとっては嬉しいことですが、製品の希少性も価値も上がりにくくなります。メリットが少ないのであれば最初から高い価格で販売して、利益を投資に回しながらブランド価値を高めていったっていいんですよ。こういう発想ができない企業は、いずれ行き詰まってしまうでしょう。
根拠もなしに現状の価格を上限だと思い込むのもよくありません。「値上げができない」と悩む企業に理由を問うと答えられないことがありますが、その価格はほかの誰でもなく自社で決めたもの。プライシング戦略に基づいて値付けしていれば、説明はできるはずですし悩みも生まれません。
自社で決定した価格に責任を持って、その価格である理由をきちんと説明できるようになることが、日本企業全体に求められていると思います。
もちろん、消費者は人間なので数字だけを見るのではなく、お客様に納得してもらえるプライシングを意識することも大切です。
大変勉強になりました。下さん本日はありがとうございました。