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醤油屋になったきっかけは夕食の冷奴! 夫婦で営む「タケシゲ醤油」の話【前編】

いつも画面越しに見ているネットショップのむこうには、想いのつまった“モノ”とそれを届ける“”たちがいます。このコーナーでは、知られざる商品開発ストーリーやお店の裏側に迫る現場レポートをお届けします。
今回ご紹介するショップ
福岡県福岡市にある「タケシゲ醤油」さん。テレビやイベントなどで話題の「博多ニワカそうす」をはじめ、料理を楽しくする調味料を製造販売しています。今回は、醤油店を営むにいたった経緯を2代目の住田夫妻に伺いました。

こちらがタケシゲ醤油さんの実店舗

日本一場所のわかりづらい醤油店

昔からこの場所で店舗を営まれていたんですか?

ゆかこさん
いえ。この実店舗は2013年4月につくりました。それまでは隣のプレハブでひっそり販売していたので「日本一場所のわかりづらい醤油店」なんてテレビで紹介されたこともあります。(笑)

真ん中にみえるのが事務所にしていたプレハブ

なぜプレハブを使われていたんですか?

話すと長くなるのですが、「タケシゲ醤油」は私の父の代からの屋号で、前身は親戚の営んでいた「五福醤油」なんですね。

「タケシゲ醤油」代表・住田友香子さん

「五福醤油」ですか?

はい。博多で1752年から続く醤油店なんです。文献を遡ると「日本で最初にビン詰め醤油を販売」「全国の品評会で13年以上連続で最高賞受賞」なんて記録もあります。

「五福醤油」の表彰額が飾られています

歴史と実績のある醤油店だったのですね。

ゆかこさん
そうなんです。度重なる道路拡張の影響を受けて1992年に廃業することになってしまったのですが、そのときはテレビなどでも大きく報道されました。

地元の人たちは、とても悲しまれたのではないですか?

販売先は飲食店中心だったので「五福醤油」という名前は、一般の人にほとんど知られていなかったんです。

なるほど…。

ゆかこさん
でも廃業が決まるとたくさんの料理人から「五福醤油がなくなると困る!」と存続を熱望されたんです。そこで親戚である私の父・竹重が「タケシゲ醤油」として製造販売を引き継ぐことになりました。

それでタケシゲ醤油という屋号に。それにしても「五福醤油」は料理人にとって欠かせない存在だったんですね。

そうなんです。ですからお取引のある飲食店へ配達さえできればよかったので小さな事務所と倉庫だけ用意して、細々と商売をスタートさせたんです。

だからプレハブを事務所に。

はい。事業を大きくする構想はありませんでしたし、廃業にむけて粛々と営んでいたので父も私も将来のことを全く考えていませんでした。

あれ。ではいったいなぜ継ぐことに…?

それを説明するには、まず彼との出会いまで遡ります。(笑)

出会って半年で結婚へ

友香子さんはもともと別のお仕事をなさってたんですか?

ゆかこさん
私は大学卒業後、福岡のメーカーで営業をしたのち、商社で営業など担当していました。そのとき彼は何をしていたかというと、デザイナーとして愛知で働いていて…

あれっ、良幸さんのご出身は福岡じゃないんですか。

よしゆきさんさん
いえ。僕は愛知出身で地元の制作会社のデザイナーとして働いていたんです。

取締役・住田 良幸さん

なぜ愛知から福岡へ?

よしゆきさんさん
「この作品、好きだな」と思うデザインが、九州のものばかりだったんですよ。それで30歳を迎えるとき「これから先の人生、デザインを極めるなら九州がいい」と決断して福岡の印刷会社へ転職したんです。

なるほど。あれ? でも今は醤油店の取締役ですよね。

よしゆきさんさん
ふふふ(笑) この時点では醤油店の後継ぎなんて頭の片隅にもなかったです。

では、お二人の出会いは?

ゆかこさん
2005年ころ、仕事で彼を紹介してもらって。その直後、詩にまつわるイベントへ誘われてデートしたんですけど…正直おもしろくなくて 「もう会うこともないな」と思ったんです。(笑)

(笑)

ゆかこさん
そしたら「今度はちゃんと会いたいです!」って連絡が来て。(笑)

良幸さん、積極的ですね!

ゆかこさん
まあそれでもう一度会ってみようか、となって。私が趣味でつくっているアクセサリーを彼に見せると「製作を手伝おうか?」「パッケージはこんなふうにしたらどうか?」といろいろ提案してくれるんです。「じゃあ一緒にアクセサリーをつくるなら一緒に住もうか」って話にまでふくらんで。…まだ付き合ってもいないんですよ?(笑)
よしゆきさんさん
直感的に「この人を逃したら人生の正解にたどりつけない」という確信があったんです。絶対一緒にならなくちゃ!って。

ゆかこさん
信じられない話なんですけど、その半年後には結婚して。

結婚! でも今のところ全く醤油の話が出ていませんね。

ゆかこさん
そのころは「それぞれ会社勤めをしながら、二人でアクセサリーのお店なんかできたらいいね〜」と話していたくらいです。(笑) 醤油のことなんて1mmも考えていませんでした。

きっかけは、夕食の冷奴

醤油店を継ぐことを決めたのは、どんなきっかけで?

ゆかこさん
ある日の夕食に冷奴を出したんですよ。
よしゆきさんさん
それが…めちゃくちゃおいしくて。すごくおいしい豆腐だね?」って聞いたんです。
ゆかこさん
「いや、近くのスーパーで買ってきたふつうの豆腐だけど…」って答えたんだよね。
よしゆきさんさん
でも新婚だから、かけている醤油に何か工夫をしてくれたのかな?とうれしくなって、思わず器に残った醤油をすすってしまったんですよ。(笑)

すするほどおいしかったんですか…!(笑)

よしゆきさんさん
はい。だって今までの人生、醤油がおいしいなんて体験したことなかったですから。食べ終わって「ところでこの醤油何か入ってるの?」って尋ねたら…
ゆかこさん
ウチの醤油かけただけだよ?」って教えてあげたんです。(笑)

その醤油が「タケシゲ醤油」。

中央にある「富」がそのとき冷奴にかかっていた醤油

よしゆきさんさん
そう。それがもうすごく衝撃的で。
ゆかこさん
それで、実は父親が「タケシゲ醤油」を営んでいるんだけど、後継者をつくるつもりはなくて父の代で終わってしまうことを話したんです。
よしゆきさんさん
そんなの、もったいないじゃないですか。単純にこんなにおいしい醤油が、なぜ世の中に広まらないんだろう?と思ったし。それで僕に継がせてください。ってお願いしたんです。

冷奴をきっかけに、醤油店を継ぐなんて! 当時、良幸さんは印刷会社で働いていたんですよね?

ゆかこさん
そう。だから私も父も母もすごく反対して。「醤油は粗利も少なくて儲からない」「今の仕事を投げ出してまでやることじゃない」って言い張ったんです。それでも彼は「どうしてもやる」と。

断固たる決意ですね…。

ゆかこさん
こうなってくると妻として「これは一緒に手伝わないとダメだ!」と思えてきたんですね。彼が継ぐと言うなら、私がその前に立って父との衝突やこれからの経営を支えていかないといけない。それで思い切って、私が先に会社を辞めて2006年に入社して。
よしゆきさんさん
その半年後に僕も辞めて二人で継いでいくかたちになりました。

こうしてようやく醤油店を継ぐことになったんですね。

なんで醤油店を継いじゃったんだろう?

よしゆきさんさん
正直、継いだときは「おいしいんだから、売り込んだらあっという間に売れるだろう」と甘く見ていました。
ゆかこさん
でも蓋を開けてみると…青ざめるほど数字が悪くて。

青ざめるほどですか。

よしゆきさんさん
業界全体の売上が落ち込んでいるし、売れば売るほど赤字になる。慌てて経営コンサルタントに相談すると「一番の解決策は、明日店をたたむことです」と言うんです。
ゆかこさん
給料もOL時代の1/3だし、売れないし…「なんで醤油店なんか継いじゃったんだろう?」って、正直後悔するような日々です。

それでも店をたたまなかったのは?

ゆかこさん
不思議な話なんですけど、お客さんたちからほとんど毎日電話がかかってきたんです。「あの味を絶やさないでくれて、ありがとう」って。こんなにも愛されている醤油を守ったのだから、私たちの選択はまちがってなかったんだって言い聞かせて。とにかくそれを信じて日々をつなぎました。

まずは商品デザインからスタート

よしゆきさんさん
じゃあ「僕にできることは何だろう?」ということで、デザインの力でどうにかブランドの価値を高められないかと考えました。
ゆかこさん
歴史ある醤油店だとデザインをガラッと変えるのもなかなか許してもらえなかったりしますが、うちはこんな経緯で引き継いでいるので、自由にやらせてもらえたんですね。
よしゆきさんさん
まず一般の人向けに販売してみようということで、はじめにデザインしたのがこのギフトセット。

すっきりとしたデザイン

よしゆきさんさん
これが…全く売れなかったんですよ。(笑) 「カッコイイ!」とは言われるんですけど、それで終わり。すごくショックでした。

なぜ売れなかったんでしょう。

よしゆきさんさん
完璧なデザインよりも、少し「すきま」があって想像の入り込む余地をつくるのが大切なんです。この気づきを後々の商品開発にも生かしていきました。

完璧すぎないデザイン…なるほど。

ゆかこさん
次につくったのが「たまごかけ醤油」の2本セットかな。

ゆかこさん
それと同時期にラベルをデザインしたのが「橙ポン酢」。それからさらに半年かけて毎週毎週鍋をして新たにつくったのが酸味をおさえた「にんにくポン酢」。
よしゆきさんさん
ラベルにはうっすらと博多織の紋様を入れています。

ゆかこさん
こうして博多の色を強調させていくと、少しずつおみやげとしてのニーズが高まってきて。ここらへんの商品は土産店にも置いてもらえるようになりました。

おお、一般の人にもちょっとずつ知ってもらえるように…!

ゆかこさん
でもこのときは自分たちがやっと暮らせるくらいの売り上げ…。そんなとき現れた救世主が「たれ」だったんです。

 

謎の「たれ」とは一体…?

後編では「タケシゲ醤油」さんの危機を救った「たれ」について迫ります。こちらもどうぞお楽しみに!