よむよむカラーミー
ECサイト開設・運営のヒントが見つかるWebメディア

変わることを恐れない、伝統にしがみつかない。三条の未来を切り拓く庖丁メーカー・タダフサの話

いつも画面越しに見ているネットショップのむこうには、想いのつまった“モノ”とそれを届ける“”たちがいます。このコーナーでは、知られざる商品開発ストーリーやお店の裏側に迫る現場レポートをお届けします。
今回ご紹介するショップ
鍛冶の町として有名な新潟県三条市にある株式会社タダフサさん。“基本の3本、次の1本”をコンセプトにしたブランド「庖丁工房タダフサ」で話題のメーカーです。ものづくりの老舗企業でありながらショップやイベントの運営にも力をいれている近年の取り組みについて詳しく伺いました。

燕三条駅から車で15分。工場にやってきました

お話を伺ったのは、代表取締役社長・曽根 忠幸さん

変化のきっかけは、震災と漁業用庖丁

家庭用庖丁ブランド「庖丁工房タダフサ」をつくったのは、いつごろですか?

6年前にスタートしました。

こちらが大人気の家庭用庖丁ブランド

それまではどんな庖丁をつくっていたんですか。

1948年に創業してから今までに1000種類以上の庖丁をつくってきたんですど、実は創業当時から製造していたのは漁業用でした。

用途に応じてかたちや機能が特化した漁業用庖丁

ところが、2011年の東日本大震災でお客さんのほとんどが被災されてしまい2カ月ちかく売上がゼロになってしまったんですね。

間接的に震災のダメージを受けてしまったんですね…。

そうなんです。年間の売上も20%ほど落ち込んで、会社としてはどん底です。

ただ、この震災はあくまでもきっかけで、タダフサの商品・商売のやりかたを真剣にみつめなおすタイミングが来たんだな、と思いました。そんなタイミングで中川政七商店さんがコンサルタントとして入ってくれたんです。

1000種類の庖丁から選ばれた7種類

中川さんがコンサルティングをすることになったきっかけは?

三条市長が中川さんの講演会で、長崎県の陶磁器ブランド「HASAMI」の起ち上げ事例を聴いたのがきっかけですね。そのあとすぐ「あなたに三条の鍛冶の未来を託したい!」と直談判したそうです。

そんな要望に対して中川さんは「産業全体の底上げよりも、まず一番星になる存在をつくるほうがいい。そうすれば自然と2番手3番手が生まれてくるはず。」と提案してくれたんです。

ではその「一番星」がタダフサさん?

そうですね、まずは自分たちが手を挙げました。

最初に何をされたんですか。

1000種類あった庖丁の売上を分析しました。
すると売上の8割を占めているのはせいぜい100種類だと気がついたんですね。そこでさらに70種類までしぼってカタログに掲載し、在庫を過剰に抱えてしまいがちな卸での販売から受注生産へ変更しました。

在庫は持たないけどなんでもつくれるよ、というスタンスに変更したんですね。

そのとおりです。既存の専門的な庖丁はオーダーメイドにして、かわりに主力となる新しいブランド「庖丁工房タダフサ」を起ち上げました。

基本の3本(パン切り・三徳・ペティ)と次の1本(牛刀・出刃・小出刃・刺身)

この7本は、どうやって決定したんですか。

中川さんと一緒に、たくさんあって分かりづらい本格庖丁のうち「これだけそろえれば大丈夫」という7本に絞りました。

選択肢をぐっと狭めることで、分かりやすくしたんですね。

コンサートついでに工場へ訪れる人も

ありがたいことにこのブランドが大ヒットして、工場に全国からお客さんが訪れるようになりました。そこで工場に併設するかたちでファクトリーショップをオープンしました。それが2015年10月です。

よその県から訪れた人が三条の道路を見て「赤茶色いのが印象的だ」とよく言うので、そんな三条ならではの風景を錆色で表現しています。

三条の道路の多くは、雪を溶かすための地下水の影響で赤茶色になっている

お店にはどんなお客さんがいらっしゃいますか。

県外の方がわざわざ寄ってくれたり、イベントのついでに寄ってくれたり…。昨年はフジロックのついでに来てくれた人もいました。最近だと星野源さんのコンサートのついでにいらっしゃったお客さんもいましたね。(笑)

コンサートついでに立ち寄る方もいるんですね。

新潟の新しい観光スポットのひとつとして注目されているのかな、と思います。

100以上の企業を巻き込む工場の祭典

お店のほかにイベントも運営されていますね。

燕三条 工場の祭典(こうばのさいてん)」といって、この町のものづくりの現場をもっとオープンにして、いろんな人に体感してもらおうという取り組みです。タダフサも実行員として参加しています。

三条市・燕市のメーカーが主体となり、町全体でワークショップや工場見学などを企画

イベントでは、どんなものづくりが見れますか。

庖丁はもちろん、カトラリーやキッチン雑貨、家具家電、野菜果物、お味噌にコーヒー…なんでもあります。今年は10月に開催するんですけど、103の企業が参加しますね。

大規模ですね! イベントのねらいは…?

よその県の人たちに三条のものづくりの凄さを知ってもらうことで、地域のファンを増やすのがねらいです。実際、このイベントでうちの工場を見学したことをきっかけに今うちで働いてる職人もいますよ。

すごい! ねらいどおりじゃないですか。

まだ小さな成功事例ですけどね。

とはいえ庖丁をつくりながら毎年イベントを企画運営するのは、けっこう大変で。(笑) いつでも見学できる工場がもっと増えれば毎年イベントを開催しなくても目的を果たせると思うので、運営方法は改善していきたいですね。

お前の父ちゃんの世話になったから、今度は俺が面倒みるわ

タダフサさんは、たくさん新しい取り組みに挑戦されていますね。

いやいや。タダフサは燕三条の縮図みたいなもので、僕たちだけが特別なことをしているわけじゃない。僕らは燕三条という大きな工場の中でものづくりをさせてもらっているだけです。

町全体が、大きな工場ですか。

ほかの地域と違って、三条は高い技術力をもったメーカーがたくさんあって、しかもそれぞれで一貫したものづくりができる。だからすぐ近くにいい兄貴というか職人の大先輩がいて。新しい試みも、だいたい彼らのようなすごいお手本が近くにいるからこそできたことです。

大先輩というと?

スノーピークさんとか諏訪田製作所さんとか。そんな一流の会社の経営者の人たちがふつうに飲みながら、僕たちの相談にのってくれるんですよ。

それはすごい!

でも諏訪田さんたちに言わせると「タダフサの親父さんに面倒をみてもらったからな」と。うちの親父はというと「諏訪田さんの会長にお世話になったからな」と。(笑) みんな恥ずかしげもなく「お前の父ちゃんの世話になったから今度は俺が面倒みるわ」って言うんですよ。

「職人は生涯現役」曽根さんのお父様は70歳を超えた今も工場に立つ

三条の職人さんの間には、互いに頼りあえるような文化が脈々と継がれているんですね。

そうそう。いいところは守りつつ変えるべきところは変えていく。それを町全体で次の世代に伝えていかないと。

タダフサの工房心得。技を伝えるために変化を恐れず誇りを持つことが説かれている

「工房心得」にもあるとおり、伝統は革新の連続であってそれ自体にしがみついてちゃいけないと常々感じています。今やっているファクトリーショップや工場の祭典もそういう取り組みのひとつであって、こういう挑戦を続けることが三条の職人である自分たちのミッションだと思ってます。

タダフサさんをはじめ三条の今後の取り組みがますます楽しみになりました。今日は熱いお話をありがとうございました!