叔父の書いた「谷口俊子伝」を読みながら、祖母に当時の気持ちを聞いてみることにしました。
奉公時代
谷口俊子は大正十一年三月十八日、八人兄弟の次女として生まれる。尋常高等小学校を卒業後、十五歳で子守りとして奉公にあがった。
そうや。若い時は女中やった。同じとこに八年間おったんや。子守りやら茶碗洗ったり、そんなことばっかりしとったわ。
そんなことが書いてあるんか?
そや。ここにばあちゃんの話が書いてあるぞ。八年も奉公に出とったんやね。大変やねぇ。
親が勝手に決めた婚姻
八年間の奉公を終えると、母親ちよと同じ町に住む谷口みなとの話し合いで、谷口家へ嫁ぐことになる。今となっては笑い話だか、結婚については俊子の意思など全く考慮されなかったらしい。
そうや〜。嫌や言うても行かないかんのや。勝手に決められとるもんで。恐ろしいこっちゃ! わははは!
ほな、ばあちゃんは「まぁ、そんなもんか」と思って結婚したの?
行きたくねえってよっぽど言うたわ。そやけど、親の言う通りや。もう決められてしまっとるもん。
この結婚がなかったら、子供も孫も存在してないんやから感慨深いわ。
新婚生活
いよいよ婚礼の日、なんということか夫又一に召集令状が届き、翌日慌ただしく金沢の陸軍第七連隊へと入隊してしまったのである。
この展開は、今はやりの韓流ドラマのようだ。いわば谷口俊子は悲劇のヒロインなのである。
召集令状は早くに役場に来とったんやと。そやけど、嫁さんもらうから遅く行けって言われて役場に行かんかったんや。そうしたら、寝しなに赤紙が来たんや。家にはたった二日ほどしかおれんかったんやないかな。
別に嫁に行きたいとも思わないところに行ったもんで、どうってことなかったわ。
(好きな人でないから一緒にいなくて済むので)戦争に行けばなおのこと良いと思っとったわ! わははは。
結婚したくないとこに行ったもんで、どうでもええと思っとったわ。そんなもん、戦死したかて悲しかったかどうか。わははは。
トンデモ発言をして大爆笑中の祖母
終戦
それから三年の月日が経ち、昭和二十年八月十五日、終戦となった。ところが、なかなか又一は帰らない。一向に消息もわからず、もしやとの不安な考えも浮かんで来てしまう。日々だけがどんどん過ぎ、稲刈りも終わり秋が深まったころ、ひょっこり又一は帰ってきた。
ぼろぼろの軍服姿で、痩せこけたその格好はひどくみすぼらしく、俊子はその汚い衣服をすぐに畑で燃やしたほどだという。戦時中であれば軍服を燃やすなどとんでもない行為だろうが、それには俊子の戦争という愚かな行いに対する激しい怒りが込められていたのかもしれない。
仕事がないところに帰ってきてもなぁ……。ボロボロのみすぼらしい格好で帰ってきて嫌気さしたわ。
燃やしたわいね! 汚ねえ、こんなもんシラミがおると思って。家に入れんと外で脱がして畑で燃やしたぞ。
石材業時代
そこから夫婦で石材業(山から建築用の石材を切り出して売る)を始めるんやね。最初はなかなか上手くいかなかったんやね。
でっかい苦労して来たな。良い石は出んし、職工に給料払わんといかんし。良くなってもまた悪くなって、絹着たりボロ着たりやった。
意を決した又一は石材業の本場、大谷石で名高い栃木県へ視察研究の旅に出ることにした。そこでは見たこともない機械を使って安全に大量の石を切り出し、全国に出荷していた。「これだ!」と直感した又一は石山の機械化にむけて準備を始めるも、一緒にやろうと声をかけた辻本家橋本家の返事ははかばかしくなく、町の人からは変わり者とばかりの冷ややかな視線を浴びてしまうほどだったらしい。

その頃の一つの逸話がある。観音下石材全体としては業績も上がり余力も出てきたことから、石工の家族も含め年に一度、日光や伊勢など方々にバス旅行へ出かけるようになったのだが、谷口家の山だけは赤字続き、夫婦だけ残り、旅行の間も仕事を続けなければならなかった。さすがに情けなくなって俊子は又一にくってかかったこともあったとか。

お金ねえし、行かんかったわいね。みんなバスで行ったときに、うちは山で仕事しとった。
そんな苦労の末に、やっとお仕事が軌道に乗ったんやね。
良い採掘場所を買って、良い石が出るようになって、やっと息ができるようになったんや!
現在
良かったねぇ。10年ほど前には引っ越しもあったね。
八十を過ぎた高齢での環境の変化はともすれば本人の元気を奪ったりするものだが、俊子はそんな心配をよそに新居ですぐに畑仕事を始め、近所に親しい友達も作って仲良くやっている。また、週に一度のデイケアサービスでは、手芸などをして大いに楽しみ、施設の元気者として職員たちに一目置かれるほどなのである。

ドラマチックな人生やねぇ。でも、最初の方は感動物語じゃなかったね(笑)
よーく苦労してきたし、今は何が起きても屁でもねえ!
若い頃を思うと今は極楽だという祖母。
昔は手に入らなかった今の穏やかな生活をありがたく思っているからこその、「何もいらない」なのかもしれません。

最後はみんなで記念撮影!
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